一九會道場の修行と、盟友・田代芳広君の事~10/31(土)

こんばんは!

ちょっと長くなりますが、何人かの方からお問い合わせがあり、一九會道場の修行について申し述べます。

 

10月の22日(木)夕方から始まった一九會道場の初学修行が今日の午後五時の直会(なおらえ)をもって終了しました。

http://www.ichikukai.com/

いや-、きつかった。💦

 

もちろん何度も経験はしていますが、十数年ぶり。そして一九會道場としても、コロナ等の影響で11ヶ月ぶり。

「初学修行者」4名に対して、「集い」と呼ばれる先達(初学を指導する修行者)の数が、圧倒的に少なかった事で大変でした。

少ない時は6名の集いで諸学を引っ張って行かなければならない座もありました。

 

昔は、多い時で50名以上の「集い」が一堂に会する事もあり、日曜のご成就日の直会は、侍者部屋ではなく祓い場(道場)で行う事もありました。

しかし今回は本当に少なく、特に金曜日・土曜日の午前中が少なく、またこれはいつもの事ですが夕方から夜にかけて、都合で帰る「集い」もおります。

かく言う私も、夜の座が終わったら帰宅、早朝の第一座と朝食は出られず、第二座に間に合うように駆け付けていました。💦

やはり法華経行者として「朝勤」は欠かせないので。

流石に朝3時に起きて・・というわけにはいかないので。

 

しかし、修行中にいろいろ感得する事が多く、この道場から離れていた期間が誠に惜しかったと思い知らされました。

なにより、先達や盟友・同志がありがたい。

特に早稲田大学の同級生で、一緒に合氣道同好会(氣の研究会)を立ち上げた田代君の存在がありがたい。

当時から私より遙かに優秀で、全てにおいて一目を置いておりました。

もちろん私だけでなく、先達からは認められ、後輩からも慕われていました。

合氣道も勉強も一流、いわゆる「敵わないやつ」です。

諸兄にも若い頃、身近にそういう「にくい あんちくしょう」っていませんでしたか?(笑)

 

下記添付は、彼が月刊誌「靖国社報」の10月号にに寄稿したものです。

田代芳広君の雑誌靖国への投稿記事

 

彼の父が警察官だった事は知っていましたが、特攻隊にいらっしゃった事は今回初めて知りました。

 

彼も警視庁を定年退官し、今は自動車学校の校長で、この道場の維持のために頑張っています。

この3日間、彼の長(おさ)で神楽(かぐら)を務めている時が至福の人時でした。

(HPの修行案内のタブの禊に移っている写真で、正面が長、手前の2人が神楽です。)

肉体的にも精神的にもしんどいのですが、乗ってくると全然疲れないのが不思議です。

 

さて、今回の初学修行者は全員40才~50才台の年配の社会人で、

無事終わるか心配した持病持ちの修行者もおりましたが、幸い全員成就させる事が出来ました。

「出来ました」などと私が言うのもおこがましいです、やはり、田代君をはじめ先達や「集い」が頑張って引っ張っていった結果です。

 

しかし「集い」の先達たちも皆、私より年配の方が多く、殆どが持病持ち。(トホホ)

奥様から止められても、「初学修行が立つなら、たとえ一座でも」と駆け付けてくれるご高齢の先達もいます。

中には80歳台の方もいますし、ひざを痛めて正座が出来ない方もいます。

そのような方は座布団を何枚も重ねてそれを敷いて後ろから大声を出して励ましてくれます。

 

もちろん、全員、手弁当です。

初学修行者の成就のため、ただその一念のみ。

ありがたいです。

 

それから初学修行者の中には、修行をきちんと受け止められなくて、無事に終わっても、ただ背中を叩かれた、と思って恨みに思う輩もいます。

昔は手引きがいなければ、絶対に入れない初学修行でしたが、今どきは手引きをしてあげるお節介な人も少なく、インターネットで申し込む人も受け入れています。

10年ほど前、あるスピリチュアリストたちの集まりに出た時、「酷いリンチにあった」と話をしていた男がいたのですが、なんと一九會初学修行の事でした。

それで「もう少し極めないと、分からないよ。毎月第一日曜の万度祓いに行くと良いよ~。」と言ってあげたら、コソコソいなくなりました。(笑)

 

いろいろ考えた結果でもあったのですが、ここを10年以上も離れてしまっていた事が悔やまれます。

ちゃらちゃら念仏もどきを唱えて綺麗なべべを着て坊さんごっこや尼さんごっこをやっている輩とは、そもそも出来が違うし、心根が違う。

坊さんも悪くないのですが、やはり、そこに集う人の程度が問題。

仏道修行者が人の悪口・陰口を平気で言っているのを観ていると、情なくなる。

仏教と言う崇高な事を学んでいる筈なのに「なにそれ?」という輩が結構います。

まあ、泥水(現世)の中に咲くのが蓮華(仏)なのだと割り切っていますが。

 

もちろん道場にだって「?」と言う人たちは大勢いたし、先達の言う事にも疑問は多くありました。

でも、同志と話しあったり、ぶつかったりして、それでも時間が来たら道場で正座して待つ。

すなわち、我々には激しい「修行」と言う絆がありました。

そして、私よりも例え一日でも、一座でも多く修行をした人は、自然と尊敬できました。

そうすべきであると感じざるを得ないほどの厳しい修行でした。

 

私は、カウンセラーが高じて、解決策を求めて在家得度しましたが、

今回、今更ながらはっきりわかったのは、この一九會の修行で力をもらっていたという事。

 

この力とお経からいただく智慧を両刀として残された人生を生き切りたい、と思います。

 

吐菩加美依身多女 & 南無妙法蓮華経

 

諸兄、諸嬢、良い週末を!

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