いわゆる「視える」という人について~12/31(火)②

おはようございます。

なんとなく、マーケットは先週末で終わったような気がしていましたが、大納会は昨日でした。(;^_^A

もっとも、私が現役の時は、28日が大納会と決まっており、銀行などは31日までやっていましたから、

年末は、なんとなく得したような気分でした。( ´艸`)

 

さて、先週、ある飲み会が終わって帰宅途中の電車で、参加した同年配の女性から電話が欲しいとのラインがありました。

駅について、歩きながらの電話。

彼女は帰宅途中の電車を降りる間際に、同席していた30代前半の若い男性からこう言われたそうです。

(o ̄)” 『私、視えるんですよ。 貴女には父方の男の人が2人ツイています。』

・・・・(o・_・o)「別に悪いことを言われたわけじゃないし、良いんですけど、なんか気になりますよね。」

(-.-)y-~「そうですかー。で、そう言われて、どう感じたんですか?」

(o・_・o) 「私的には、守護霊かな、と。以前ある人には4人ついてる、と言われたことがあります。」

(-.-)y-~「そう。それなら2人減ですね。」(笑)

(o・_・o)「まあ、人数はどうでも良いんですけど、いかにも成功したビジネスマン、という人から言われたので、ちょっと気になりました。」

(-.-)y-~ 「気になったという事は、信じたい、という事ですね?」

(o・_・o)「そうではないんですが、彼は若いけれども、私が信頼している人が認めている人だったので。」

(-.-)y-~ 「そう、確かに若いですよね。でも観察するまでもなく、典型的なジジィ・ババァ殺しです。野村證券時代に仕事のできた男は皆、そうでしたよ。」

(¬д¬;)「という事は、田村さん、私がババ・・・・?」

(;^_^A 「いえいえ、そうは言ってません。」

(¬д¬;)「そう聞こえます!」

(^.^)y-~「すんません、言葉足らずで・・。ところで、どうでも良かったら気にならないですよね。やはり気になったから、電話してきたんでしょ。」

(o・_・o)「それは、まあね・・。でも、いつも田村さんは、『見えないことは見えないから良いんだ』って言っているじゃないですか。」

(^.^)y-~「よく覚えてますね。えらい! 若い頃修行していた道場で、ある先生から教わったことです。『もし、3つ目の目が人間に必要なら、神様はそのように人をおつくりになったはず。見えないからこそのこの世の修行だよって。』法華経では、『極楽百年の修行は穢土(この世)一日の修行に及ばず。』(日蓮御遺文・報恩抄)と説いています。」

(o・_・o)「以前もおっしゃってましたよね・・。私もね、信頼している方からご紹介された方が言われたから、だけです。」

(-.-)y-~ 「仕方ないですよ。そうやって食い込んでいく人間っているんです。しかも、あの若さで金銭的に大成功しているんでしょうから、認めたくなるわけですよ。貴女も彼に近寄れば、経済的に楽になるかもよ。ただ、タイミングを見計らわないと、えらい事になるかも、ですが。バブル勃興期にブイブイ言わせてた不動産屋・証券、金融マンのその後を目の当たりにしてますから。」

(o・_・o)「もちろん、近づく気なんかありませんよ!」

(-.-)y-~ 「いやいや、その日暮らしのカウンセラーの言う事よりも、手っ取り早く金儲けができるとは思います。ただ、気が付くと逃げられなくなっているケースが多いです。私も、間一髪、という事がありました。」

(o・_・o)「今度、その時の話を聞かせてください。」

(;^_^A 「いいけど、参考にはなりませんよ。」

(o^_^o)「わー、楽しみ!」

・・・というあたりで、家に着き、電話を切りました。

 

熱い湯に浸かりながら、ため息が出ました。

・・・世の中、未だそういう事をいう奴がいる。まだ若けぇのに、なんだ、あいつ。

このタイトルと矛盾するようであまり言いたくはないのですが💦、ここのところ、ちょっと変なエネルギが来ているのを感じていました。

 

(私にとって)暗黒の50台前半、いわゆるスピリチュアリズムに嵌まっていたことがある事を告白します。

なぜ、人間に幸不幸・運不運があるのか、今までの成功はなんだったのか?なぜ、今こういう状況なのか?

悩んでいました。

同時に、恵まれた環境で育ち、我儘から会社を辞め、家族を心配させ、なんだ、この体たらくは!

自分を責め続けていました。

 

そんな時に、ふと先生づらしてやってくる『霊能力者』たちがいました。

確かに、私の過去を言い当てたり、未来を予測したり・・。

未来に関しては、当たったり当たらなかったりでしたが。

自分でも、易・四柱推命・算命学を学びました。

けっこうなお金を費やしました。

だまって視ていてくれた家人には感謝しています。

 

そしてその数年間を過ぎて分かった事。

結論から言えば、上記の会話にあるように、「神仏は、全てをわからないようにしてこの世に送り出してくれている。」

人は、「観える」人を思わず信頼してしまう。

神とまではいわなくても、少なくとも自分より(ある部分)優れた存在として捉えてしまう。

言いたいことは一つ。

「高い塀に囲まれた道を歩いていて、四つ角にぶち当たった時、横から車、自転車が飛び出してくるかどうかは一般人にはわからない。

たまに、それを予め注意してくれる存在があるかもしれない。しかし、その存在を鷹や鷲と思ってはいけない。なぜなら、雀でも、蚊・蜻蛉だってそれはわかる。

そういう人間に嵌まっている人々に言います。貴方は、貴女は、蚊・蜻蛉を尊敬しますか?

・・・自分はそんな事はない、嵌まってなどいない、という人が多いんですが。

 

年末、ついつい辛口になってしまいましたが、自分自身の戒めのためにも、書いておきます。

来年からは、仏道修行に加えて、若い頃に錬磨した神道(禊)の道場にも顔を出すつもりです。

もともとは、そこから始めた人生ですから。

 

年末も、本気、正直、丁寧に!

そして、諸兄、諸嬢、どうぞ良いお年をお迎えください!💛

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