●おはようございます。
今日が最後です。長々と続くお話しにお付き合いいただき、ありがとうございます。
ラッキーが亡くなったその後の事をお伝えします。
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いつまでも悲しんでばかりはいられません。対処しなければならない現実が待っています。
ラッキーの病気が分かった29日の夕方、元大手外資系取締役で、今は法華経の普及に努めていらっしゃるS女史に相談しておりました。
彼女は、昨年夏、私の相続のお客様のご家族が亡くなった時、八面六臂の活躍をしてくれたスーパーレディ。頼りになる友人です。
多忙にもかかわらず、彼女は、夜、ラッキーのために枕経を詠むために駆けつけてくれました。
元旦で、帰省している息子さん達と久しぶりの楽しいひと時だったのに、ありがたいです。
実は、この日、仕事だった息子と、大事な約束があって出かけていた娘には、知らせていませんでした。
責任感が強い息子は、仕事の性質上、終わるまで帰らないし、遠出していた娘を慌てて帰って来させたくはなかったので。
ただ、息子は、帰宅途中で電話をしてきて、家人が伝えました。
7時半に返ってきた息子は、居間に入ってきて、横たわっているラッキーを見て一瞬泣きそうになりました。
しかし、僧服に着替えて、御経を詠む支度をしているS女史を見て、口を一文字に結び、ラッキーをそっと撫で、「早すぎるよ。」と一言 つぶやきました。
何も知らずに8時に帰宅した娘は、入ってきてすべてを悟り、「えっ!ラッキー、死んじゃったの?」というなり、大きな目からみるみる涙が盛り上がりました。
それを見るのが辛かった。
しかし、S女史の心のこもった御経に合わせて、我々家族も一緒に読経しているうちに、心が落ち着きました。
隣町にすむS女史を車で送り、帰宅して、ラッキーの遺体を安置。
家族で夜食をつまみながら、いつまでもラッキーの話をしました。
涙もあり、笑いもありました。
私は、家族がいるありがたさを感じていました。
ラッキーの最期。
キッチンでおせちを作っていた家人が、なにか動く気配を感じて振り返ると、ラッキーが一生懸命立ち上がろうとしていました。
駆け寄ると、家人の方に顔を向けて、目を泳がせ、そして静かに倒れていったそうです。
一声も鳴かずに。
辛うじて、家人の腕の中で息を引き取った事が幸いでした。
思えば、主人の私には、元気な姿しか見せたくなかったのでしょう。
そして、彼が一番大好きな優しい家人に見守られて、甘えて逝きたかったのだと思います。
体からは殆ど何も出ず、きれいな最後でした。
朝、無理に大量に水を飲み、そして戻し、胃も腸も空っぽにしたのは、自分の最期をわかっていたからだったと思います。
昔の武士の最期のような、見事な死に様でした。
翌2日、隣接する和室に安置して1日をすごさせました。
この間、S女史が教えてくれた、ペット葬儀社に連絡、相談。そこに火葬のお願いをしました。
ペットを飼っている方へご参考までにお伝えしますと、体重30㎏-35㎏で、立会い個別火葬で54,000円(消費税込)でした。
体重別、また、お任せするのか、我が家のように個別に立ち会うかで、値段が変わります。
初めての事で、かってが分かりませんでしたが、とにかく、立ち会う事に。葬儀社から、「4時間はかかりますよ。」と言われましたが、了承。
立会いは、家人と娘と私。息子は、仕事。娘は息子に、「こんな時くらい、休めないの?」とぷんぷんして、息子を困らせていました。
翌3日朝10時に葬儀社の方が2名、来てくれました。きちんとダークスーツで来てくれて、好感。
手続きの説明を受けたあと、彼らが載ってきたいわゆる火葬車に、ラッキーの遺体を安置し、火葬する場所まで移動します。
私達3人は車で、その火葬車の後に続きました。
( ̄o ̄) 「火葬車って、たいへんだね。」
(・_・) (▼o・_・o▼) 「何が?」
( ̄o ̄) 「だって、火の車でしょ。資金繰りが・・・。」
(▼o・_・o▼) 「黙っててちょうだい!」
やっと少し悲しみが癒えて、本来の私に戻っていたのですが、娘に一喝されました。
中野区の善福寺川のほとりで、車が止まったのが10時半。
最後のお別れをして、火葬が始まりました。
S女史から教えられて、火葬車の扉の前で、法華経如来寿量品十六を20回余 読誦しました。
午後1時に火葬が無事終わり、それから、御骨上げ。 人間並みの大きな骨壺と、それを覆うきれいな袋が用意されていました。
お骨上げが終わり、何気なく空を見たら、ラッキーが雲になってお別れを告げていました。
「ああ、本当に、君は行ってしまうんだな。」 そうつぶやきました。
我々3人が見つめる中、雲は、しばしラッキーの形を留め、そのまま流れていきました。
夜、また、スーパー尼僧のS女史が我が家に来てくれて、ラッキーの御葬儀を執り行ってくれました。
昔の私なら、「ペットに葬儀なんて・・。」と鼻で笑っていたものです。
しかし、違いましたね。やはり、彼は家族と同様でした。
我々家族に、どれだけの愛情を与えてくれたか。
どれだけの癒しを与えてくれたか。
そしてまた、自分の最期を見せる事で、命のはかなさと大切さ、今日と同じ明日は無い、という事を教えてくれました。
人気者だったラッキーの突然の死は、ご近所の皆様から驚きをもって迎えられました。
特に女性の方々からは、涙を頂き、両隣りからは、お花まで頂戴しました。
ありがたい事です。
ラッキーと生きた10年と10ヵ月、彼がいた事で、間違いなく私の人生は豊かなものになりました。
もう現実世界に彼はいませんが、私の心の中に彼の存在を感じています。敢えて言えば、私の中の真我の海を泳いでいる彼を感じます。
これからは、もっと一日々々を大切に、時間・生命を大事に、そして家族や 朋輩・友人、お客様、出会う人々に感謝しながら生きていきたいと思います。
本当に大事な事はなにか? 事に出会うたびに、それを自分に問うて行きたいと思います。
皆様、6回にわたる ラッキーへの私の備忘録にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
また、この間、多くの方から、慰めや励ましの言葉をいただきました。感謝します。
最後に、2005年(平成17年)春に その年の3月1日に生まれたラッキーを我が家に贈って下さった
大阪の松本高様、ならびに中西貞正様ご一家の皆様。
ラッキーは、10年10ヶ月の命を燃やし尽し、旅立っていきました。
心温まる10年と10ヶ月を私ども家族にくださいました事を、心より感謝いたします。
そして、これからの皆様のご健康をとご多幸を心からお祈り申し上げます。
本当にありがとうございました。
平成28年1月11日
田村雅宣
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