突然の別れ~ラッキー、10年と10ヵ月、ほんとうにありがとう ⑥最終章 1/11(月)

●おはようございます。

今日が最後です。長々と続くお話しにお付き合いいただき、ありがとうございます。

ラッキーが亡くなったその後の事をお伝えします。

・・・・・・・・

いつまでも悲しんでばかりはいられません。対処しなければならない現実が待っています。

ラッキーの病気が分かった29日の夕方、元大手外資系取締役で、今は法華経の普及に努めていらっしゃるS女史に相談しておりました。

彼女は、昨年夏、私の相続のお客様のご家族が亡くなった時、八面六臂の活躍をしてくれたスーパーレディ。頼りになる友人です。

多忙にもかかわらず、彼女は、夜、ラッキーのために枕経を詠むために駆けつけてくれました。

元旦で、帰省している息子さん達と久しぶりの楽しいひと時だったのに、ありがたいです。

 

実は、この日、仕事だった息子と、大事な約束があって出かけていた娘には、知らせていませんでした。

責任感が強い息子は、仕事の性質上、終わるまで帰らないし、遠出していた娘を慌てて帰って来させたくはなかったので。

ただ、息子は、帰宅途中で電話をしてきて、家人が伝えました。

7時半に返ってきた息子は、居間に入ってきて、横たわっているラッキーを見て一瞬泣きそうになりました。

しかし、僧服に着替えて、御経を詠む支度をしているS女史を見て、口を一文字に結び、ラッキーをそっと撫で、「早すぎるよ。」と一言 つぶやきました。

何も知らずに8時に帰宅した娘は、入ってきてすべてを悟り、「えっ!ラッキー、死んじゃったの?」というなり、大きな目からみるみる涙が盛り上がりました。

 

それを見るのが辛かった。

しかし、S女史の心のこもった御経に合わせて、我々家族も一緒に読経しているうちに、心が落ち着きました。

隣町にすむS女史を車で送り、帰宅して、ラッキーの遺体を安置。

家族で夜食をつまみながら、いつまでもラッキーの話をしました。

涙もあり、笑いもありました。

私は、家族がいるありがたさを感じていました。

 

ラッキーの最期。

キッチンでおせちを作っていた家人が、なにか動く気配を感じて振り返ると、ラッキーが一生懸命立ち上がろうとしていました。

駆け寄ると、家人の方に顔を向けて、目を泳がせ、そして静かに倒れていったそうです。

一声も鳴かずに。

辛うじて、家人の腕の中で息を引き取った事が幸いでした。

思えば、主人の私には、元気な姿しか見せたくなかったのでしょう。

そして、彼が一番大好きな優しい家人に見守られて、甘えて逝きたかったのだと思います。

 

体からは殆ど何も出ず、きれいな最後でした。

朝、無理に大量に水を飲み、そして戻し、胃も腸も空っぽにしたのは、自分の最期をわかっていたからだったと思います。

昔の武士の最期のような、見事な死に様でした。

 

翌2日、隣接する和室に安置して1日をすごさせました。

この間、S女史が教えてくれた、ペット葬儀社に連絡、相談。そこに火葬のお願いをしました。

ペットを飼っている方へご参考までにお伝えしますと、体重30-35㎏で、立会い個別火葬で54,000(消費税込)でした。

体重別、また、お任せするのか、我が家のように個別に立ち会うかで、値段が変わります。

初めての事で、かってが分かりませんでしたが、とにかく、立ち会う事に。葬儀社から、「4時間はかかりますよ。」と言われましたが、了承。

立会いは、家人と娘と私。息子は、仕事。娘は息子に、「こんな時くらい、休めないの?」とぷんぷんして、息子を困らせていました。

 

翌3日朝10時に葬儀社の方が2名、来てくれました。きちんとダークスーツで来てくれて、好感。

手続きの説明を受けたあと、彼らが載ってきたいわゆる火葬車に、ラッキーの遺体を安置し、火葬する場所まで移動します。

私達3人は車で、その火葬車の後に続きました。

 

 ( ̄o ̄) 「火葬車って、たいへんだね。」

(・_・) ▼o_o▼) 「何が?」

 ( ̄o ̄) 「だって、火の車でしょ。資金繰りが・・・。」

▼o_o▼) 「黙っててちょうだい!」

やっと少し悲しみが癒えて、本来の私に戻っていたのですが、娘に一喝されました。

 

中野区の善福寺川のほとりで、車が止まったのが10時半。

最後のお別れをして、火葬が始まりました。

1月3日、火葬①

S女史から教えられて、火葬車の扉の前で、法華経如来寿量品十六を20回余 読誦しました。

午後1時に火葬が無事終わり、それから、御骨上げ。 人間並みの大きな骨壺と、それを覆うきれいな袋が用意されていました。

お骨上げが終わり、何気なく空を見たら、ラッキーが雲になってお別れを告げていました。

1月3日 ラッキー空へ帰る①

「ああ、本当に、君は行ってしまうんだな。」 そうつぶやきました。

我々3人が見つめる中、雲は、しばしラッキーの形を留め、そのまま流れていきました。

1月3日 ラッキー空へ帰る③ (2)

 

夜、また、スーパー尼僧のS女史が我が家に来てくれて、ラッキーの御葬儀を執り行ってくれました。

 

1月3日夜お葬式②

昔の私なら、「ペットに葬儀なんて・・。」と鼻で笑っていたものです。

しかし、違いましたね。やはり、彼は家族と同様でした。

我々家族に、どれだけの愛情を与えてくれたか。

どれだけの癒しを与えてくれたか。

そしてまた、自分の最期を見せる事で、命のはかなさと大切さ、今日と同じ明日は無い、という事を教えてくれました。

 

人気者だったラッキーの突然の死は、ご近所の皆様から驚きをもって迎えられました。

特に女性の方々からは、涙を頂き、両隣りからは、お花まで頂戴しました。

ラッキーお仏壇 夜

ありがたい事です。

 

ラッキーと生きた10年と10ヵ月、彼がいた事で、間違いなく私の人生は豊かなものになりました。

もう現実世界に彼はいませんが、私の心の中に彼の存在を感じています。敢えて言えば、私の中の真我の海を泳いでいる彼を感じます。

これからは、もっと一日々々を大切に、時間・生命を大事に、そして家族や 朋輩・友人、お客様、出会う人々に感謝しながら生きていきたいと思います。

 

本当に大事な事はなにか? 事に出会うたびに、それを自分に問うて行きたいと思います。

 

皆様、6回にわたる ラッキーへの私の備忘録にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

また、この間、多くの方から、慰めや励ましの言葉をいただきました。感謝します。

 

 

最後に、2005年(平成17年)春に その年の3月1日に生まれたラッキーを我が家に贈って下さった

大阪の松本高様、ならびに中西貞正様ご一家の皆様。

ラッキーは、10年10ヶ月の命を燃やし尽し、旅立っていきました。

心温まる10年と10ヶ月を私ども家族にくださいました事を、心より感謝いたします。

そして、これからの皆様のご健康をとご多幸を心からお祈り申し上げます。

本当にありがとうございました。

平成28年1月11日

田村雅宣

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)